日本サッカー名蹴会 会長 金田喜稔さん

経歴

国際A:58試合 / JSL:139試合 / Jリーグ:0試合

1958年、広島県生まれ。中央大学2年生で日本代表に選出され、1977年6月に行われた日韓戦での代表初ゴールは、日本代表歴代最年少得点ゴール(19歳119日)として今も刻まれている。卒業後、⽇産自動車株式会社サッカー部(現・横浜F・マリノス)でもチームの中心選手として活躍し、国内タイトル7冠獲得に貢献。国際Aマッチ58試合出場。変幻⾃在のドリブルを得意とし、「キンタダンス」と呼ばれる独特のフェイントで世界の選手を驚愕させた。また、日本代表ではペレ、ベッケンバウアー、マラドーナ、ケンペス、クライフなど世界のスタープレイヤーと対戦した経歴をもつ。
現役引退後は、サッカー教室の開催、サッカー日本代表戦の解説者をつとめるなど、サッカーの指導・普及活動にあたる。2010年、⽇本サッカー名蹴会 会長に就任。

だれもがサッカーを楽しめる環境づくりに、名蹴会が少しでもお役に立てればと思いっています。

頂点を走り続けていたプレーヤーは、プレイも言葉も重みが違う。
名蹴会会員は高いハードルを超え、日本サッカー界の頂点を長く走り続けてきたプレーヤーたち。言葉にしても、プレイにしても、さまざまな経験をしてきた人にしかない重みや価値があるに違いありません。高い基準を維持し、壁にぶち当たってもそれを打破してきた者にしかできない伝え方があるはずです。

ベストを尽くして相手に勝とうとする態度、それがフェアプレーです。その精神を広めたい。
また、フェアプレーの精神についても伝えていきたいと思っています。ルールを守る、相手をケガさせないといったことは当然ですが、本当のフェアプレーとはそれだけではありません。ルールを守ったうえで、ベストを尽くして相手に勝とうと本気でプレイすること。だから、僕は子ども相手でも父兄相手でも決して手を抜かずプレーしたいと思います。
子どもだからといって手加減するのは、かえって子どもに失礼です。真剣に戦って、本気のプレイを見せてこそ、子どもたちは「このおっさん、やるなぁ」という気持ちになり、目の色を変えて、サッカーを一生懸命やろうとするのです。欧米には“good loser(良き敗者たれ)”という言葉がありますが、勝利を目指し、負けたときは潔くよく相手を讃えるフェアプレーの精神を、名蹴会のサッカークリニックなどを通じて日本にも根付かせていければと思っています。
だれもがサッカーを楽しめる環境づくり。それは、名蹴会の目標です。
同時に、未経験のお父さんやお母さんなど、うまいへたにかかわらず、サッカーを楽しむ文化を広げていきたいとも考えています。競技人口の増加、底辺の拡大、だれもがサッカーを楽しめる環境づくりなどに、名蹴会が多少なりともお役に立てればと思っています。
できることなら全国47都道府県をまわり、サッカーを楽しむ人をもっともっと増やしたい。子どもはもちろん、保護者や指導者の方々とも本気になってボールを追いかけ、サッカーを通じて元気になってほしいし、我々も元気になりたい。名蹴会が少しでも社会に貢献できるように活動していくつもりです。世界中で愛されているサッカーだからこそできると確信しています。

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